初めて日本教育工学会の全国大会に参加しました。研究の口頭発表やポスターセッションをはじめ、トークセッションやワークショップ、SIGなど様々な形式の場が用意された3日間です。研究者や大学院生だけではなく、教育の現場にいる教員や、教育関連企業の方々など、参加属性も多様性に富んできました。
3日目のSIGのパートでは、最近立ち上がった質的研究グループのセッションに参加しました。私自身もエスノグラフィーやエスノメソドロジーを普段行っているので、教育の世界でどのように観察等の質的方法が研究手法として認知されているか興味がありました。そこでの気づきを1点書きたいと思います。

質的研究は主観的なのか?
一般的に、量的研究(主に統計手法を使った仮説検証型の研究)をされている方からは、質的研究に「客観性」や「再現性」があるのか、つまり質的研究は研究者の「主観」ではないか、という疑義を持たれます。確かに、データの取得や分析のプロセス、立脚する主義や手法が明確でない場合は、「主観」と捉えられかねない場合もあるでしょう。しかし、それは量的も同様です。アンケート設計時点で主観が入った怪しい調査もありますし、統計解析がイマイチな論文はたくさんあります。そもそも量的研究も「量があることに客観性があるのだという主観」に基づいているとも言えます。どちらが主観的か客観的かは難しいところです。とはいえ、「再現性」は質的研究では少ないかもしれません。というよりも、そもそも再現性を意図したものではないのが質的研究の面白いところです。たとえば、特定地域での長期間のフィールドワークでの記述をもとにした研究では、その事例自体が独立した世界であり再現性どうこうではないはずです。
量的研究はその研究対象をざっくりみた特徴や因果関係を明らかにすることに向いていますし、質的研究は量的研究で示されたモデルでは説明できないこと、付随要素として除外されたことを明らかにすることに向いているのではないでしょうか。つまりはどういうリサーチクエスチョンを立てるかによるということです。

私の場合は、最初の大学や都市計画コンサルタント会社では、もっぱら量的手法を使っていましたが、現在は質的研究に関心が移りました。今回は、改めて研究の原点を感じました。それは、リサーチクエスチョンによって取るべき手法は違うという点です。リサーチクエスチョンが質的手法に向くならば質的研究をすればいいし逆も然りです。先に手法を決めるのはとてもナンセンスだということを再認識しました。研究者として当たり前のことだとお叱りを受けそうですが、自己を戒めるためにも書いてみました。

日本教育工学会全国大会のページはこちらです。
https://www.jset.gr.jp/taikai31/index.php

ws0045 201509「日本教育工学会 全国大会」(電気通信大学)1